トップページ > smokersについて > 市川 茂男 (いちかわ しげお)
smokersの役者頭、市川茂男を紹介します。
市川 茂男
1974年8月30日生まれ
Oに近いA型
(血液型は女性を見る時の重要な判断基準。しかし全てではない)
ほぼ170cm
埼玉県
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マイルドセブン・ワン・メンソール
3年前にタバコを止めようとして少しずつ下げていった結果、1mmまできたが、なかなか止められず今も吸っている。
私は高校を卒業してすぐに東京の中華料理の会社の寮に入り、4年間をそこで過ごしました。そこではたくさんの映画を観ました。会社に入ってから最初の2年間はただただ映画を観るのが楽しく、楽しむために映画を観ていました。ところが、後半の2年間は映画は私にとっての逃避でした。
役者になりたいとおぼろげに思ったのは20歳くらいの頃でした。
映画が好きで、単純にアルパチーノやデ・ニーロのようになりたいなぁと思っていました。当時はそれはただの夢に過ぎず、夢として楽しむ程度でした。レストランの仕事も楽しく、全てがうまくいっている感じでした。
会社に入って2年が過ぎた頃、私は仕事にも慣れ、とても生意気で自分が一番仕事が出来ると思い込んでいました。徐々に周りの人たちとうまくいかなくなってきたのもその頃でした。
そんな時に、2年間勤めた吉祥寺近鉄店から蒲田駅ビル店に異動する事になりました。その店は料理長が若手ナンバーワンの30歳の人で、仕事に対して一切妥協しない人でした。今まで私が自信を持ってやっていた仕事はその人には一切通用せず、私はどんどん自信をなくしていきました。
蒲田の店に移動してからは店に通うのが本当に苦痛でした。毎日のように怒鳴られ、萎縮してしまい、そんな日が続くうちに私は店で感情を表さないようになりました。唯一の楽しみは休みの日に観る映画でした。映画を観て感動し、勇気をもらい、そのもらった勇気で何とか店に行くという感じでした。
そんな日が続くうちに自分の中にある思いが生まれました。それは、自分も映画に出て人に勇気や感動を与えたい、という思いでした。
今思えば、あのような状況の中、映画に逃避したことが因となって役者になりたいという強い思いが生まれたのだと思います。
あの時も思っていて、今も思っていることがあります。私はなんだかんだ言って、店を辞める理由を役者になるということで自分と周りを納得させたのです。私は自分の弱さに尻尾を巻いて逃げ出したのです。
私が役者になったのは、あのレストランでの4年間のおかげだと思います。詳しくはいつか芝居か映画でやるので楽しみにしていてください。
私がやるのはもちろん若手ナンバーワンの料理長の役です。
飲み会ではいつもおいしいとこを持って行く。しかしビールをこぼす。料理を作るのがうまい。台詞は基本的に覚えない。芝居は天才的なタイミングで台詞を言う。体育会系の日本男児。うちの役者頭。
(by.荻山博史)
野性的で飲んだくれ。
(by.熊坂貢児)
「職人」
生まれてくる時代を間違えたのかも知れない。天才…という言葉でしか言い表せない時がある…良くも悪くも。
(この人に大工の役をやらせたいのは僕だけなんでしょうか?)
(by.広瀬格)
ピカソ。理解されにくい天才。でも間違いなく天才。ほら、字の読み間違えとかもはや神かがり。努力もしちゃうから手に負えない。
(by.遊佐邦博)
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